時を追い越す

仕事での一番の難関は「時間」との戦いだろう?

時間から追われるような戦い方をしていて勝てる戦は少ない。

迫る時間を振り切って?
時間を追い越すような戦いをしなければ、時間に呑まれて実力を出せないだろう……

時間を見方につける…そして気がついたら時間を追い越しているような仕事ぶり
そんな事が出来たら良いだろう。

望んで、時間を超える事が出来る訳ではないが…?
せめて、どのように差配するのか、と言う段取りの計画は練っておくべきだろう。

時間を追い抜いて行くためには、段取りが必要だろう。

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ほうてい(包丁)

包丁とは、もともとは”ほうてい”と言う人名に由来する。

牛をさばく職人であった”ほうてい”が
王に召されて、その包丁捌きも見事さをほめられた所?

”ほうてい”は、何千・何万の牛を捌いて行くうちに自然に手が動くようになってと言う事
そして、それは目をつぶっても
どこに筋があり、どこに肉が有りと言う事が自然に分かるようになった、と。

以前に書いた「伊藤一刀斎」の記述と似ている話ではあるが?
(「刀」と言う点も似ている)

その域にまで至ると言う事が
ひとつ、プロの入り口と言う事でもあろうか?


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史記

「史記」を書いた司馬遷が宮刑を受けた事は有名な話だが……

その様な、刑を受けてまで
「史記」編纂と言う偉大な業績を残したと言う事は特筆すべきだろう。

もちろん、「史記」の内容も素晴らしいし
歴史書の嚆矢でもあるわけだが?

何か、目の前を阻害する要因が現れた時
それでも、不屈の精神で進む事が出来るかどうか?

その精神力なり使命感と言うものは
「仕事」を残すうえで大事な事だろう。

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烏江亭

項羽と劉邦の最終的な争いのあった場を「烏江」と言う。

壮絶な決戦が行われた後に、衆寡適せず項羽は最期を迎えるのだが……

後年、この烏江の地を二人の人間が訪れる。

一人目は盛唐の詩人 杜牧
二人目は北宋の宰相 王安石

それぞれの詩文を載せる事は割愛するが

それぞれの詩の主題は「項羽」

杜牧は、項羽は恥を忍んで故郷に帰れば、まだ再起が出来たのに……と詠い
王安石は、項羽は故郷に帰ってももはや無理だろう、と……

この両者は、良く取り上げられるが?

杜牧の目は、詩人であり優しい
王安石の目は、政治家であり冷徹である

どちらもプロではあるだろうが……

それは、拠って立つ立場によって視点は異なると言う事だろう。

人生は白駒の隙を過ぐるが如し

人生は一瞬であると言う事として

”人生は白駒の隙を過ぐるが如し”

白い駒が一瞬で過ぎ去っていくと言う意味だが?

プロとして功なり名を遂げたとしても
それは一瞬なのかもしれない……

だからこそ、その一瞬の輝きに残せる仕事というものを大事にしたいと思う。

グレーゾーン

仕事をしていると
これを踏み込んで良いのか?悪いのか?
と言う線引きをしなくてはならない部分が必ず出てくる。

その際に、確実に「ブラック」な範疇に踏み込む事を躊躇しない姿勢が評価される事もあるだろう
しかし、大半の場合には「ブラック」な範疇に踏み込む事は不味い訳で?
どうしたら「ブラック」の範疇に抵触しないように物事を進めるのか、と言う点が問題となる。

この判断や手法に関しては
今までの”経験値”と言うことが問われてくるだろう。

何処までがブラックで
何処からがグレーか………

もちろん、グレーでは無くホワイトな領域で進めるのが正しいあり方なので
どのようにしたらホワイトな領域にまでもってこれるのか?
その辺を含めて、様々な事に精通していると言う事もプロにとっての大事な条件であろう。

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プロに愛想は必要か?

プロに愛想は必要か?と言われたときに
「必要」であると答えるのには、勇気がいる。
なぜなら、別に愛想が無くても「仕事の完成」があれば、そこでプロの職責は解除される部分が大きいからだ。

しかし、「仕事」が来るプロはそれでも良いが?
「仕事」が来ないプロはどうすればよいのだろうか?

当然、そこに”営業”と言う要素が加わってくる………
そうなると、「プロにも愛想」が必要と言う事になるわけだ。

集団と個

難しい問題は含むが、「愛想」もプロの力量に入ることが今は多いのだろう。
タグ:愛想
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プロゆえに

プロゆえに、仕事を断ると言う事は先日に書いたとも思うが……?

その理由としては、仕事をあれこれ抱える事で本来すべき仕事に集中できなくなることだろう。

仕事の按配は、それまでの経験則上で余裕がある事が分かったとしても
不測の事態が起きることも考えられる

また、物に対する仕事ではなく、人に対する仕事であればこそ
相手側の事情によって、予想外のことも頻出しうる。

そういう意味での「時間管理」と言う事での”余裕”を作る意味でも
仕事を一杯にしないと言う事は大事だろう。

プロの課題

プロは仕事の完成が出来るようになってからが「プロ」だとおもうが?

しかし、世の中や社会の流れは変わってくる

そうなると、ある一つの技術だけで「プロ」を名乗り続けられる人は少ないし

もし、それが出来るならば幸せな事だろう

常に技術を新しくしていく事は、プロの求められる技術だろう………

もちろん、それを披露するかどうか?は別にして 


何時からがプロなのか?

”プロ”になるには何時からか?

以前、それを名乗った時からと書いたが

それは、本人の外側の世間一般に向けてのアピールと言う事になるが………

しかし、これは「集団」で暮らすプロと「独り」で暮らすプロとで、また違うだろう
「集団」の場合には、迎え入れられて直ぐに「プロ」と認定される(されざるを得ない場合)もある
それは、その人物独りが駄目であっても「集団」の力でカバーできる事に起因する
が、「独り」で動く場合には、独りで仕事が完遂できない段階では、幾らプロを名乗った所でどうにもならない部分はあるだろう。

そう言う意味では、「プロ」と言うのは、仕事の仕上がりに責任を持てる段階と言う事になるだろう。

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